2011年01月26日

義の島−台湾・金門島の秘史と現代日本の忘我D−             筆者:林天外    

5.(最終回)「義」とはなにか?

本稿起草の契機となった一冊のノンフィクション(『この命、義に捧ぐ/台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』門田隆将著/集英社刊)の表題にある「義」という言葉は、これまで本稿のなかでも頻出した。

筆者が意図して「義」という語を好んだというよりも、このたび取材で対談した松本、砂生氏からは自然体の語り口のなかで「義」という言葉が発せられ、また門田隆将が発掘した根本中将の真実の物語のなかでも「義」が多く語られていることから、総じて「義」という表現の多用に至ったといったほうが正しいだろう。

とはいえ、本稿表題も「義の島」としているのであるから、ついには「義」というものを突き詰めて考えなければ、根本中将や彼ら先人の陰を追った松本や砂生の一連の物語を心奥から理解することができないだろう。

では、「義」とはなにか?―と問われて、これに一言で回答することも、やはり簡単ではないはずである。なぜなら、特に私たちアジア民族系は「義」というものを、理論的にではなく極めて感覚的に理解しているため、あらためて言語でその神髄を表することのほうが困難だからだ。

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posted by AK at 02:24| ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

義の島−台湾・金門島の秘史と現代日本の忘我C−             筆者:林天外               

4.要塞・金門島

 道場を閉じた後でも砂生は松本に私淑し続けた。松本もことあるごとに砂生を伴って台湾に出向き、古き友人関係を中心として、そこから広がった中国人社会との交流を重ねていた。
 そして、思想言論活動を旺盛に展開していく松本が、台湾で発表した一冊の本によって、松本と砂生は昭和57年(1982)当時戒厳令下にあった金門島に台湾の非公式の国賓として招待されるという奇跡的な体験を享受することになるのだが、そのエピソードを読者に深く理解して頂くために、松本が事前に語ってくれた注釈を引用しておきたい。
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posted by AK at 21:12| ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

義の島−台湾・金門島の秘史と現代日本の忘我B−                 筆者:林天外

3.義のある処

 中国共産軍と国府軍による国共内戦において、防戦一方に追い込まれ台湾にまで後退していた蒋介石総統に対して、旧日本軍将軍の根本博中将は、わずかでも力になりたい一心から、昭和24年(1949)に元部下の有志と共に決死の覚悟で台湾に密航した。
 それは日本の敗戦時に、中国大陸・蒙古地域に残留していた民間邦人4万人と北支那派遣旧日本軍35万人の将兵を無事に日本へ帰還させてくれた蒋介石の義に対して、根本が命を捨てても報いなければならない恩義への返礼であった。
 しかし、この根本の行いは一文で著わせられるほど簡単なものではなかった。
当時の日本では占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーによって、旧軍人こそがアジアと世界の和平を破壊しようとした犯罪人であったとする反軍閥思想が日本社会のあらゆるところで喧伝されていた。玉音放送のその日まで「神軍日本」の快進撃を告げていたラジオが、一夜にして言説を転じて「日本は軍人たち戦争犯罪人によって支配されていた」と追及し始めた。日本のために命を捨てて外地で闘ってきた根本たち旧軍人は民間人からも忌避されるような存在になり、当然、こうしたアメリカ占領下で軍事行動を画策すること自体が犯罪であった。
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posted by AK at 21:34| ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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