本稿起草の契機となった一冊のノンフィクション(『この命、義に捧ぐ/台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』門田隆将著/集英社刊)の表題にある「義」という言葉は、これまで本稿のなかでも頻出した。
筆者が意図して「義」という語を好んだというよりも、このたび取材で対談した松本、砂生氏からは自然体の語り口のなかで「義」という言葉が発せられ、また門田隆将が発掘した根本中将の真実の物語のなかでも「義」が多く語られていることから、総じて「義」という表現の多用に至ったといったほうが正しいだろう。
とはいえ、本稿表題も「義の島」としているのであるから、ついには「義」というものを突き詰めて考えなければ、根本中将や彼ら先人の陰を追った松本や砂生の一連の物語を心奥から理解することができないだろう。
では、「義」とはなにか?―と問われて、これに一言で回答することも、やはり簡単ではないはずである。なぜなら、特に私たちアジア民族系は「義」というものを、理論的にではなく極めて感覚的に理解しているため、あらためて言語でその神髄を表することのほうが困難だからだ。
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